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【オリジナルのお茶の記録】


弯弓秋の散茶2013年プーアル茶 その1

wan gong qiu tian san cha

弯弓秋の散茶2013年

■概要
製造 : 2013年11月8日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山弯弓
製茶 : 丁家老寨の農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶 (晒青毛茶)
保存 : 西双版納―上海 密封

■生茶プーアール茶
当店のオリジナル品です。
+【当店オリジナルのお茶について】

■晒青毛茶
晒青毛茶は天日干し仕上げのプーアール茶の原料となる茶葉です。
バラバラのままの形状から「散茶」とも呼びます。
緑茶の感覚で新鮮な今の風味を楽しめます。
何年か保存して熟成を楽しむのもよいでしょう。

弯弓秋の散茶2013年

■弯弓について
「弯弓」(wan gong)は地名です。
世界の茶樹の故郷とされる西双版納の漫撒山(旧易武山)の一角にあり、ラオスとの国境に沿って広がる山岳地帯です。
かつて明代から清代にかけてお茶どころとして栄え、漫撒山(旧易武山)では最大の400戸の民家の集まる寨子(村)がありました。そして旧六大茶山で最大の寺院「弯弓廟」がありました。

弯弓秋の散茶2013年

茶馬古道の一部である石畳の道が敷かれ、季節になると500頭の馬が毎日漫撒山から易武山の茶庄(お茶を加工する工房)に茶葉を運んだ記録があります。

弯弓秋の散茶2013年

瑶族・彝族(イ族)・漢族・ダイ族・回族がこの地に関係し、明代以前からもお茶づくりと交易が盛んだったことが推測されます。
ちなみに「弯弓廟」は仏教寺院と清真寺(モスク)が隣接していたとされています。

弯弓秋の散茶2013年

弯弓秋の散茶2013年

弯弓秋の散茶2013年

1800年代後半にこの寨子は消滅しました。
疫病、民族紛争、山火事、様々な説がありますが、はっきりとしません。
その後は人が住まなくなり、密林に戻り、現在は国有林となって保護されています。
2005年頃からプーアール茶ファンの間でこのような辺境地のお茶がひそかなブームとなりました。少量しかないお茶なので、ホンモノにはそれなりの高値がつきます。価値が上がったせいで、2008年には瑶族の村と村の間で紛争があり、狩猟用のライフル銃で撃ち合いとなり、武装警察が周囲を取り囲む大きな騒ぎとなったそうです。
弯弓は瑶族の山です。国有林なので農地の割り当てはありませんが、森林の中の茶を摘んだり、最低限の整備をする「自然栽培」は認められています。瑶族の村での話し合いによって、どのあたりの土地がどの家のものであるかが決められています。
写真ページ
【弯弓 瑶族の山】
【弯弓 2013年 秋天】

弯弓秋の散茶2013年
(左の人のピンクと黒の帽子は、この地域の瑶族の男性の正装です。)

■瑶族(ヤオ族)
瑶族はお茶づくりに古い歴史を持つ民族です。
茶文化の発祥にも関係しています。
詳しくは「瑶族(ヤオ族)の旅」を参照。
+【瑶族(ヤオ族)の旅・漫撒古樹青餅2013年 その1.】
漫撒山に春の茶摘みの季節がくると、ラオス側に住む瑶族の人たちが山を越えて出稼ぎに来ます。移動の山岳民族にはもともと土地の所有の概念がありません。数十年に一度は山伝いに移住して、焼き畑をして、新しい農地と新しい住居を得る。そんな生活をしてきた人たちです。メコン川流域の中国・ラオス・ミャンマー・タイにまたがるゴールデントライアングルの山岳地帯には、今もなおそのように生きる人々がいます。
弯弓のお茶に関わる瑶族は中国側に住居と村があり、現在は定住生活をしています。お茶以外にバナナやサトウキビなどの作物を村の周辺でつくっています。
弯弓にはお茶と、少しの薬草しかできません。国有林という建前上、農地はありません。この特殊な環境に魅力があります。
なぜなら、弯弓の山の姿こそが、遠い昔に山岳民族がお茶という植物と出会い、「採集」から「栽培」へと発展してきた農業の起源を見るような気がするからです。

弯弓秋の散茶2013年

■山の循環
現在の弯弓はかつてのお茶どころとしての面影はなく、数年前までは密林に覆われた深い山でした。けもの道のような山道を徒歩で6時間もかかっていたのですが、瑶族の人たちが鍬と槌で道を整備して、現在はなんとかバイクで2時間ほどで行けるようになっています。それでも茶樹のある森へ入るには、途中から徒歩で道を探しながら進むことになります。

弯弓秋の散茶2013年弯弓秋の散茶2013年

弯弓秋の散茶2013年弯弓秋の散茶2013年

弯弓秋の散茶2013年

海抜1400~1700メートルの高地といえども、熱帯雨林は植物が密集して茂ります。深い草で覆われて見えない足元を一歩一歩確かめながら進みます。写真のように棘のある植物がチクチク刺したり、蔦が足に絡まったりして、すぐそこに見えている距離を進むのも容易ではありません。

弯弓秋の散茶2013年

茶樹はその密林の中にひっそりと生きています。
漫撒山の一帯には、いつの時代に誰が植えたのか?それとも人間が来る前から生息していたのか?はっきりとわからない茶樹が山のいたるところにあります。このように昔から生息していた茶樹は原生の品種です。この土地の環境に適応するよう進化して、世界のどこにもない弯弓に固有な性質を持っています。古い茶山のお茶に高い価値が付くのはこのためです。
雲南省には清代の茶業が発展した時代に開拓された新しい農地も多くあります。樹齢は200年を超えるので「古茶樹」と呼ばれますが、その品種は四川省や湖南省から持ち込まれたものです。また、近年開発された茶畑は、思芽市(現プーアール市)で量産される新種の苗がほとんどです。
もちろん各茶山で原生の品種の種子を集めて森に植えて育てる試みもあります。しかし、茶葉が収穫できるまでに最低15年はかかり、さらに古茶樹の味を求めるとなると遠い先の話になります。 この数年の急な需要拡大には追い付きません。

弯弓秋の散茶2013年
(易武山大漆樹の種子から育つ苗)

密林の中の茶樹は成長が遅く、他の木々よりも小さいので、日陰に耐えながら周りの木々が枯死してふたたび陽のあたる日が来るのをじっと待っています。生存競争の激しい密林でサバイバルする術が、茶樹にとっては「長寿」ということなのです。
山岳民族といえどもこの密林では茶摘みが難しく、また、日陰ではほんの少ししか新芽・若葉を出さないので、まる1日摘んでも鮮葉で1.5キロほど。製茶後は250gくらいにしかなりません。そのため最低限の整備が必要です。

弯弓秋の散茶2013年

弯弓秋の散茶2013年

背の高い雑木を切り、下草を刈り、採光が適度に確保されます。
ひょろひょろと上に伸びた茶樹の枝は台刈りされ、新しい枝から「熟した枝」を数年かけて育てます。「熟した枝」とは根を育てることで滋味深いお茶をつくる、古来の栽培技術です。
「熟した枝」についてはこちらを参照。
【熟した枝・漫撒古樹青餅2013年プーアル茶 その2】

弯弓秋の散茶2013年

弯弓秋の散茶2013年

10メートルはありそうな巨大な茶樹にも3箇所ほど明確な台刈りの跡があります。そこから枝分かれして上に伸びているので足掛りがあり、木登りしての茶摘みができます。台刈りは遠い昔のお茶づくりの跡です。200年以上も前にも同じように「熟した枝」の栽培が行われていたことを示しています。
このように、人の手が入ってやっと季節の新芽・若葉が採集できるようになります。

弯弓秋の散茶2013年

弯弓秋の散茶2013年

弯弓から人が離れてから約200年。近年の辺境のお茶ブームによってふたたびお茶どころとして復活しつつあります。
山に人の手が入ると、密林の影になって暗くじめじめ湿った地面に陽が当たります。太陽を待っていたいろんな草木の種子が芽吹きます。そして偏った土壌の栄養が改善されてゆきます。このことは土を耕すのに似て、生態系を活性化させます。
土が変わると微生物が変わり、植物が変わり、虫が変わり、鳥が変わり、動物が変わり、・・・・・・・・・・・・という連鎖が起こり、地域全体をリフレッシュさせます。

弯弓秋の散茶2013年

将来、いつの日かこの土地のお茶の需要が減る時がくるでしょう。弯弓から人が離れて、茶樹はまた密林の影で長い眠りにつきます。
弯弓を訪問して広大な密林を見て思うのは、たとえ辺境のお茶の需要がこのまま増え続けたとしても、山じゅうが開拓されるまでに50年はかかりそうだということです。
かつてここに400戸民家の集まる村があった時代は、弯弓のすべてが開拓された農地だったと想像できますが、それに比べると現在の弯弓や漫撒山の一帯は、まだ眠りから覚めていないお茶どころと言えそうです。

■その2 製茶 つづき
【弯弓秋の散茶2013年プーアル茶 その2】



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