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漫撒古樹青餅2013年 その2

man sa gu shu qing bing cha

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

■熟した枝
弯弓へ行ってまず確かめたかったのが「熟した枝」です。
熟した枝とは、丁家老寨で見たのと同じ茶摘みの方法によってできる、裸になった枝ぶりのことです。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

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そして、やはり弯弓にもありました。
瑶族(ヤオ族)は誰の土地でもないこの山で、熟した枝をつくっているのです。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶 

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実は、弯弓に行く前から予測していました。
その新芽や若葉の形には特徴があります。芽は小さく葉は大きめで、その割に葉の厚みがなく、雨の季節でもないのに茎が長く育っていること。 昨年の『丁家老寨青餅2012年』の葉底(煎じた後の茶葉)と似た形をしています。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶 

■芽数か芽重か
人が茶摘みをすると、芽や葉の数は自然に増えてゆきます。
なぜなら、茶摘みをした跡のすぐ脇から芽が出て、葉となって茎が育って、分岐して枝の数が増えるからです。
下の写真は、漫撒茶山の「丁家老寨」と、易武山麻黒村の茶樹です。枝ぶりと新芽の数に注目してください。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

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枝の分岐を許すか許さないか。
その違いです。
枝の先端あたりは節と節の間隔が緊密です。
頂芽(枝の先端の新芽)を摘むと、そこから分岐した枝が先端付近に密集し、びっしりと新芽や若葉が並びます。
枝先に集まる栄養を多くの茶葉で分けるので、おのずと小さく育ち、茎の部分は短くなります。見栄えのよい小さな若葉がたくさん収穫できるようになり、芽数が稼げます。
たとえ意図しなくとも、なにも考えなしに茶摘みをするとこうなります。
分岐して増えすぎた枝から出てくる新芽や若葉は、さらに小さく育ち、ついには価値を無くすので、2年か3年に一度は剪定をして枝を減らさなければなりません。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

高級茶で有名な易武山の麻黒地区は、1970年代の国の指導で台刈り(幹から茶樹を切り戻して短くする)をしたせいで風味が変わったと一般的には言われています。しかし、それが問題ではありません。
枝の分岐を許したこと。これが問題です。

一方で、丁家老寨や弯弓の熟した枝は、あきらかに分岐を嫌っています。
枝先の葉を少し残して、中間から出てくる側芽や育った古い葉をすべて落して、分岐をゆるしません。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

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枝の分岐が少ないと葉数も少ないので、おのずと新芽や若葉は大きく育って、芽重が稼げます。
しかし、この茶摘みには手間がかかります。収穫量という点ではやはり効率が悪いと言えるでしょう。
ひとつ良いのは、品種それぞれの成長の時差がよりはっきりと現れ、収穫期が長期にわたることです。
その他にメリットがあるのでしょうか?

■枝と根の関係
弯弓で確かめたかったことの2つめ。
それは「台刈り」が行われているかどうかです。台刈りとは、茶樹の幹の根元から切り戻して再生させる技術です。
そしてやはりこれもありました。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

写真の茶樹は3度ほど台刈りされています。
1度目は土に埋もれかけた幹の部分。
幹が4本ほどに分かれていますが、これは台刈りで再生した枝の成長したものです。その上の節目になっている2度目の跡。さらに上の3度目の跡。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

日本でも、かつて株仕立ての山茶では台刈りをしていたそうです。しかし、現代の畝づくりの茶園では台刈りをしません。なぜなら、毎年のように剪定で枝先をそろえ、20年か30年で茶樹ごと再生させるからです。
枝を分岐させて増やすには、樹勢のよい若い茶樹のほうが都合が良いのです。

その逆をゆく熟した枝の仕立て方。
実は、熟した枝と台刈りとはセットになった技術です。

枝が分岐しないでどんどん伸びてゆくと、やがて人の手が届かなくなり、太い竹や木を渡して茶摘みをするのにも限界がきます。もしもそこで剪定をすると、枝は1本が2本、2本が4本、4本が8本、と増えてしまいます。
熟した枝を長年キープするには、定期的に台刈りをして、できるだけ分岐の少ない低いところからやり直すしかありません。

なぜそこまでして熟した枝にこだわるのか?
おそらく瑶族にとっては、
「熟した枝」=「古樹」 なのです。
一般的には樹齢の古い茶樹ほど甘く滋味深いお茶ができると言われています。それは、樹齢の古い茶樹ほど熟した枝があるからではないでしょうか。

枝と根は一対です。
熟した枝をキープすることは、すなわち熟した根をキープすること。
熟した枝に対応した根の基幹はより太く、主幹はより深く、細根はより広く栄養を集めます。
もしも、頂芽を摘んで枝を増やし、増えすぎた枝を剪定して頻繁に更新したなら、根はどうなるでしょうか。そのつど古い根の一部を捨てて、新しく更新されるのではないでしょうか。

枝と根は交互に成長します。
新芽や若葉の茎が伸びて枝が形成されてゆく過程では、根は栄養の供給に忙しく、その間の成長は止まります。
観葉植物の鉢替えをして、しばらく葉の成長が止まったことはないでしょうか。根の成長へ栄養がまわっているからです。
熟した枝には頂芽と3~5葉だけが成長を許されます。根の負担が少なく、根自身が成長する余裕があります。
成長した葉は光合成によって生産した栄養を根に送ることになるので、決して葉数の多いことが悪いわけではありません。そのバランスやタイミングということになるのでしょう。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

上の写真は麻黒村の老衰した茶樹です。最近これを多く見かけます。
枝の分岐をゆるして芽数を増やし、増えすぎた枝の剪定回数が増えてくると、根や幹の負担が大きくなり、寿命を縮めます。
枝と根の成長のサイクルを長くする熟した枝と台刈りの技術は、茶の長寿を守ります。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

見えない土の中のことですが、その違いはお茶の風味に現れています。
もちろん、どちらが良いというのではなく、それぞれの味わいです。
麻黒地区のお茶は1970年代にその選択をして、なんらかの風味を捨て、なんらかの風味を新しく得たのです。

■山のサイクル
弯弓で確かめたかったことの3つめ。
それは「農地の管理」です。
国有林を「農地」といえるのかどうかわかりませんが、瑶族は野生茶を「採集」しているのではなく、「栽培」しているという感覚があります。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

鬱蒼とした密林の山をバイクで超えて、さらに山道を徒歩で行き、弯弓の地帯に入ると、そこにはあっけなくきれいに整備された農地が広がっていました。雑木が間引かれ、下草が刈られています。
焼き畑はできないはずなので聞いてみると、「火は使っていない」と言いますが、古い大きな切り株の肌には昔の焦げ跡が残っていました。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

下草は草刈り機で綺麗に刈り取られていました。
茶樹は5~10メートルほどの間隔を空けてまばらにあります。
このようにきれいに整備されている農地はほんの一部で、ほとんどの茶樹は広大な森林の中に隠れていて、いつか太陽のあたるときがくるのを待っています。

熟した枝が伸びすぎて台刈りをすると、新しく熟した枝ができるまでに最低5~6年はかかります。その間は農地ごと放っておかれるので、じわじわ緑が浸食してゆきます。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

写真はちょうどのその過渡期の農地です。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

何らかの理由で農地が整備されずに数十年も経つと、ほぼ自然林に戻ります。
写真の中央に、右に向かってお辞儀しているような小さな茶樹があります。茶樹の成長は遅いので、他の若い木々に先を越されて日陰に隠れますが、それでも耐えられるのです。むしろこの間にじっくり根を養っているのかもしれません。

瑶族は数十年のサイクルで農地の整備と放置を繰り返しているようです。

追記:2013/03/22
後に弯弓のお茶づくりをしている瑶族の人にインタビューする機会を得ました。それによると、国有林になる以前から瑶族のあいだで「ここからここまで誰のもの」というのが一応は決まっていうるそうです。しかし、土地が広すぎるので整地できるのはほんの一部となり、おのずと自然林が多くなる。
ということです。

追記:2013/04/15
弯弓のお茶に人気が出て高値がつきだした2008年に、瑶族の村と村の間で紛争があったそうです。狩猟用のライフル銃で撃ち合いがはじまり、弯弓の中心地を武装警察が取り囲む騒ぎとなったそうです。(死人はなし。)
このことは、やはり土地の所有はちゃんと決まっていなかったことを示しています。

野生茶など存在しない。
近年の野生茶ブームで、森林の中で手付かず茶樹に人気が出ていますが、それはかつて山の民族が栽培していた茶樹で、今は手をつけないで森に放置してあるだけかもしれません。
『茶の原産地紀行』松下智著に、それが古来からの自生の野生茶か、それともかつて人によって種が植えられたものかが証明されていない。と、指摘されています。そのとおりです。
お茶が先か?人が先か?・・・それが問題です。

■変遷

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

瑶族は古くから漢族にお茶を売っていました。
しかし、この土地のお茶が都市に向けて売れだした明代から清代にかけて、瑶族の多くはこの土地を去りラオスへ移動します。そして、それまで中間流通を担っていた彝族や漢族が山に入ってお茶づくりを継承します。清代末期にはこの土地のお茶はさらに遠く、海の向こうの都市まで運ばれるようになり、求められる風味も変わってゆきます。
栽培技術がさらに発展してゆく過程がうかがえます。

漫撒古樹青餅2013年プーアル茶

■その3 農地 (まだつづきます)
+【漫撒古樹青餅2013年 その3】


漫撒古樹青餅2013年 1枚 380g


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